「それにしても貢君、勿体無いね」
「……何がだ」
「髪。こういう処じゃ手入れが出来ないから、折角の綺麗な髪が台無しじゃないか」
垢や埃やに塗れた髪は、生来の素質を失い、淀んだ汚れを付着させている。こういう場で生きていくには神経質なまでの潔癖症であるより、多少の汚物ならば構わず在れるくらいの方が住み易いとは、分かっていたけれど。
「男が髪に気を遣って何になる。――女人ならばまだしも」
「どうかな。薫流姉さんも苗さんも、貢君の髪のことは褒めていたようだけど」
尤も姉は、どうしてあんな男が生まれついた素材がいいのかしらと、宝の持ち腐れと言わんばかりに憤る素振りを見せていただけなのだけれど。幼い日の自分からすればその姉自身の髪も比類なく大層美しいもので、そのままで何処に不満があるのかの方が不思議なものだった。感覚の性差なのかもしれない。
初耳であったのか、彼は訝しげにゆるりと視線を向けた。
「苗が、そんなことを言ったのか」
「面と向かって告げたら気分を害するかもしれないと思って、言葉を控えたのかもしれないね。苗さんは、そういう気配りの出来る人だから」
応答には、沈黙が遺される。回顧でもしているのか、遠い屋敷での毎日、厳しくも愛する者が傍らにあったかつて。
――重なる過去は、何時も哀惜が纏わり付く。
零れ落ちる宵闇の髪。櫛で梳かしたように直ぐで、灯を飲み込んだように光沢のある艶色。
いとしいねえさん、やさしいなえさん、そして。
燃え盛る火ごと切り捨てるように、尖ったパイプの端で切断された黒い束が散った。
苦悶に満ちた、けれど業火から這い上がり覚悟を腹に据えた男の眼差し。裂けた囚人服、凄惨な傷跡、滲む血に、不恰好に切り落とされた黒髪が瞳に焼きつく。
(――勿体無い)
姉すらも誉めそやした綺麗な綺麗な黒髪と、本家の名に違わぬ帯刀流の実力。
憧憬と羨望に眩暈がするほど焦がれた昔があった、などと。
「―――帯刀分家が嫡男、静流が参ります」
終わりにしよう。
そう、これは、――それまでの、内緒の話。
愛 し 、 哀 し 、 髪