柔らかな、と形容するのが相応しい午後の霧雨。
素振りをする腕も、首筋も、髪も――何処も彼処も、水に濡れてゆく。激しいものではないといえど、長時間浴び続ければ流石に濡れ鼠になるのは避けられない。不快ではなかった。ただ、着物が濡れそぼってすぐには乾きそうにないのは、難点かもしれない。
「貢さん、風邪を引きますよ。そろそろ寒くなります、今日はもうお止めになりませんか」
「この程度の雨で風邪など引かん。心配は無用だ」
「それでも、濡れたままじゃ身体にも触ります。……そうは言っても、聞いてくれそうにありませんね」
仕方ない人と、少女が微笑んだのが分かる。
からん、と下駄の音が近付いた。苗が、庭先に下りてきたのだ。黒髪がふわりと微風に揺れ、程なくして雨に濡らされその艶をより美しくする。
苗は美しい。
見目姿だけではなく、その魂を形作るこころすべてが。
束の間見惚れていたことにはっとして、慌ててかぶりを振った。苗はもう目前まで来ている。当然傘などない、苗は雨に浸されるに任せている。
「苗、お前が濡れてどうする、俺に構わずとも――」
「いいえ、私も偶には雨に濡れてみたかっただけです」
苗が立ち止まり、白い掌を頭上に翳した。使用人として働かされた擦り傷だらけの手が、まるで降り注ぐ雨を受け止めるように、伸ばされる。
「私がせめて、貢さんが雨を凌げる樹になれたらいいのに」
「……苗」
「冗談ですよ」
儚い笑顔だと思った。いつもの気丈な、直ぐに伸びる苗と同じなのに。
そっと腕を背筋に回し抱き寄せる。腕の中に収まった小柄な苗からは、何処からか散る間際の桜の花の香りがしている。
桜が雨に色褪せると詠ったのは誰だったか。
――不吉な想いが喉元をせりあがり、きつく目を閉じた。
「俺は、そんなことは望まん。お前がお前のままでいてくれれば、それでいい」
お前がいてくれればそれだけで生きていける。
其の言葉は、口にする寸前に呑みこんだ。
――こんな不安は、ただの杞憂であると思いたかったから。
菩 提 樹
song by 天/野/月/子。
あなたに落ちる冷たい雨を嗅ぎ分けて 両手を空に翳しているから