涼やかな朝だった。綺麗に晴れ渡った空の下、天候も申し分ない。
見張り番以外は誰も起き出してはいない早朝。海賊一家に厄介になってから随分、レックスの天性からの早起き体質には磨きがかかり、日の出と共に目覚めるのも近頃では稀ではなかった。自然と、甲板から海を眺めるのが日課になっているのもたぶん、気のいい海賊連中の影響に違いない。
(でも、確かに綺麗なんだよな……)
水平線。陽が落ちる寸前の、波のきらめき。雨天時の、しぶきに見出せる深い深い碧……多様な姿を見せ付ける海の広大さを知ったのは、やはり彼等と出遭ってからのことだ。いくら見てても飽きねえんだ、と笑っていた船長の遠い眼を思い出して、レックスは微笑する。
 ふと物音に、海に遣っていた目線を後へやって、急に強いなにかに照らされ眩しさにレックスは目を細めた。
―――光が見える。燦然と瞬く金色の。
 船上で眼を凝らしたレックスは、すぐに陽光を弾いたものの正体に気付いた。歩み寄ってくる人影の、豪奢な金髪が揺れていたのだった。整えられた美しさではなく、獅子の鬣のように野生の荒々しさを残す、無造作に伸ばされた長髪。
「相変わらず早起きだなあ、あんた」
まったく感心するぜ――頭を掻きながら、今し方目覚めたばかりらしい若き海賊一家の頭目は笑った。ゆっくりと近付いて、軽く片手を上げる。
「朝の早さにかけちゃあ、俺らも陸でのんびりしてるのと比べりゃ結構なモンだと思ってたんだがな。軍人ってのはそんなに早起きなのか?」
「そうでもないよ。むしろ俺が、こっちの生活に慣れたってことじゃないかな。朝海を見るのが、習慣になってきてるみたいだ」
 嘘ではない。これが全ての真実というわけでもなかったが……カイルはあっさりとレックスの弁を信じたようだった。そりゃいいや、と笑う。
「あんたも海賊稼業慣れしてきたってこったな。どうだい、乗ってみる気はあるか?」
「え?」
「まあ、今は島から出る方法が分かってねえ状態だから何とも言えないけどな。ここから出る術が見つかったら、さ」
 客分から本当の意味での身内に―――家族に。その言葉の意味を、レックスは茫然と飲み込む。
「無理にとは言わねえよ。ナップのボウズのこともあるしな。だが、もしその気さえあるんなら……俺達はいつでも大歓迎だ。そこんとこ、覚えといてくれよな」
 帝国軍のこと、アズリアのこと、イスラのこと。処理しなければならない問題が山積みになっている中で、発言されるべきものではなかったのかもしれない。心臓が早鐘を打つ。間近で向けられた笑顔に、レックスはたじろいだ。
……駄目だ、意識してしまう。どうしても。
どぎまぎしていたのがバレたらしく、笑みを消してカイルは不審げな表情になった。片眉を上げる。
「どうした、先生?やけにぼーっとしてるじゃねえか」
「いや、別に……」
「もしかして具合でも悪いのか?そういや最近あんた、青空教室やら戦闘やらで働き詰めだったよな」
 何でもないよ、俺は平気だからと口篭りながら応えて、ますます怪しいものを見るように見詰められると、どうしようもなくなった。レックスは適当に誤魔化し、その場を離れることにした。心配されるのは嬉しいが―――この場合、逆効果だ。
逃げるように(事実逃げているのだが)カイルと別れ、与えられた個室に戻ると、入った途端脚から力が抜けた。
 床に座り込んで、はあ、と溜息をつく。
(やっぱりヤバいよな、これって……)
胸の鼓動の速さと、熱を帯びている気がする頬に手をあてて。
それもかなり―――今更という気が、しないでもなかった。





 意識のし始めは、何時からだったろうか。
彼を説明しようとすれば、簡単にするには言葉が足りないだろう。カイル一家の若き旗頭。素手の喧嘩では無敗を誇ったという腕っ節。すらりと均整の取れた体付き。比類なき海の知識と、船の航海術。滅多なことでは取り乱さぬ豪胆さと、立ち向かうものには容赦ない負けん気の強さ。
 けれど、それだけではない。夢を追う真っ直ぐな姿勢、海を語るとき誰よりも熱くなる、正真正銘海で生きて死ぬ男。
 だからこそ、真髄は何処までも潔癖で。太陽と重なり合う、眩しいまでの笑顔には曇りがない。彼の性質はまず裏表がなく、卑怯を許さぬ誇り高さを持ち合わせても尚、どこか無邪気だった。

 そうして、レックスはカイルに惹かれた。何故だろう……理由は分からない。数えれば尽きないけれど、実際に数えようとすれば思いつかない気がした。ただ前方のみを見据え、決して何かに捕らわれることのない姿が羨ましかったのかもしれない。自分のどうしても持つことの出来ない、自分に対する信頼から溢れる自信を備えている彼に、追いつきたいと思った。何にせよ、きっかけは些細なことだった。それが積もり続けた結果が今なのだ。
カイルが、好きだった。
……だが。

(このままいくと、とんでもないことになりそうな予感がする)
 レックスは悩んでいた。はっきりと自覚したのが、皆から休日を貰って世にも珍しい海底温泉に赴いた日のことだったのだが……問題なのは、そのシチュエーションだった。海水まじりの塩辛い湯船のかけあいを子供たちと繰り広げた後は、自由行動で。どうせならと温泉にも男女交代で浸かることにして、一番最初にレックスとカイルが湯に入ったのだが……

『連れて行ってやるよ。あんたが望む所なら、何処へでも』
満面笑顔で、そんなふうに言われて―――そう言った本人は、湯の熱さにうっすら赤くなった頬だとか目元だとかを晒していて。
(……可愛い、って思ったの、最初だもんな……)
言ったが最後、物凄い顔を顰められるか、怒られるかするに決まっているので、口に出すような愚は犯さなかったが。その日を発端に、想いは日々エスカレートしていって、今では顔を見るだけで心臓がばくばく音をたてるようになってしまった。

(ほんと、どうしようかな…)

自覚して尚且つ実りの薄い恋ほど、全くもって辛いものはない。
重々しくもう一度の息を吐き出し、火照った頬を冷まそうとレックスは目を瞑った。