「こんなとこで昼寝かぁ?譲治の兄貴が探してたぜー、朱志香」
「んー」
海岸にビニールシートを敷いて、砂浜に大の字に寝転んでいた私を目敏く最初に見つけたのは戦人だった。
態度はでかいけど私よりも小さくて、馬鹿みたいによく笑って、口論しても決着がつかない私とどっこいの頭の出来、喧嘩になれば取っ組み合うこともしょっちゅうの従兄弟。性別の垣根を感じることはあまりない、遠慮のない間柄といえば聞こえはいい。
「夏妃おばさんも、心配してた」
「……嘘言うな。だいたい、私を心配してんじゃなくて、体面を心配してんだろ」
「そうふてくされんなって。気持ちはわかるけどさ」
飛び出したのは些細な口喧嘩から、母さんに手を上げられたことが原因。屋敷を飛び出して、でもあの屋敷以外に行く宛てなんかあるわけもなくって、たまたま開けっ放しだった園芸倉庫からビニールシートを持ち出してここまで来た。それがまた結構重くて、到達するまでに砂利道に引き摺った跡がついちまった。これくらいでへばってる自分も、ざまあない。
思い起こせば起こすほど自分の馬鹿さ加減に涙が滲んで、理解してもらえないことへの不満が頭から破裂しちまいそうで。ああもう最悪だとシートの上に投げやりに仰向けになって、うみねこの鳴く声を耳に落としながら、舌に歯を立てていた。
見果てぬ空は青い。
私はひとり。
海岸線には薄いグレーの雲がかかり、飛沫は砂地を濡らし、私は陽射しの熱に焼かれて。なんて無様なんだろう。いくら望んだってこの島から出られない、どこへもいけない。私は大空を飛び回る、あの鳥の様にはなれない。
私は右代宮家の跡継ぎだ。そんな称号糞食らえって思ったって、誰も聞いちゃくれない。自分ひとりじゃ何もできない、どんな力も私の好きなようにはならない。
「わがままなんだってわかってる。でも、私はこのまま一生この島で生きるなんてまっぴらだ」
隣席に座る戦人の視線や、二人でいるから生じてしまう沈黙がいたたまれなくて、ぽつぽつと交わした心情。零した愚痴。
いつもは事を茶化してばっかりの戦人は、珍しく、私の話を遮らずに最後まで聞いていた。
「……やっぱ、思い通りにならねぇことって多いよな。俺たち、まだ子供だし」
「……うん」
「じゃあさ、成人したら、一緒に外へ飛び出すってのは?」
見上げた先、黒い瞳が輝いていた。母さんが時折胸につけるブローチについてる、宝石みたいだった。それが人間の生気を湛えてきらきらと光っていた。
私はぽかんと口を開けてしまった。あまりにも、突拍子もない発案だったから。私が身を起こして、「どーいう意味だよ」と返すと、得意げに戦人は思いつきを語ったのだ。
「右代宮家がどうしても嫌なら、捨てちまえばいい。財産を、その、ほうてき……じゃなくて、ほ、ほ」
「放棄?」
「それだそれ、ほうき!財産をほうきするとかさ……なんか、方法あるさ。そんで、本島の会社とかではたらけばいいんだよ。譲治の兄貴がするって言ってるみたいに」
「だって、そんなことしたら右代宮家は誰が継ぐんだよ」
「誰でもいいじゃねえか。大体不公平だ、生まれたときから継ぐのが決まってるなんて。朱志香が継ぎたくねーんなら、俺は、継がなくたっていいと思う」
それは当事者でない故の、無責任な発言といえるもの。
それでもそのときの私には、ひどく、心揺さぶられる提案だった。
右代宮家を捨てて、もっと広い世界へ……。
選ぼうと思えば、そんな選択肢だってあるのだということを、戦人はあっさりと提示したのだ。父や母は猛反対するだろう、下手したら娘の縁を切ってやるって勘当されちまうかも。それじゃあ困る、私は両親を嫌いなわけじゃないから。
だけど、あと何年か我慢して、自立できるようになったら。母が父が何を言おうと、私のやりたいことに突進していったっていいんじゃないか。出てさえしまえばこっちのもの。説得は、外へ出てからだってできる。
私の展望は、瞬く間に明るさを取り戻す。
私らしくあることを、諦めなくたっていいのなら。頑張れる。これから何ヶ月、何年でも。
でも……一握りの陰りはあった。子供じみたこんな思い付きが、そんなに簡単に上手くいくもんだろうか?
「そりゃ、そうできたら最高だけどさ……。できるかなぁ、そんなの」
「いっひっひ。そんとき、朱志香の気持ちが変わってなかったら、白馬に乗って迎えにきてやる。それならさぁ、安心だろ?」
私の不安を和らげるためか、茶化すように言われた言葉は、遠まわしのプロポーズに聞こえた。
俺は将来有望だぜえ、と八重歯を見せて笑う戦人に、私は、
「こんなとこで昼寝かぁ?紗音ちゃんが探してたぜー、朱志香」
眼を見開く。
夢は急速に覚めた。まるでそのものが願望に帰来した幻影だったみたいに。
快晴の空を背景に、すっかり男前を上げた戦人の顔が、私を見下ろしている。昔は同年の男の中でも貧弱だったくせに、そのデカくなりっぷりは卑怯だ。いつ見ても。
六年ぶりに再会した戦人。あの宝石のような黒い瞳と、口を横に吊らせた特徴的な、楽しげな笑い方だけが変わらない。思い出の額縁の中の戦人のまま。
「潮風気持ちよくてさ。昼寝したいときによく来るんだよ、一人で」
「そうだっけか?ま、この島じゃあ、遊び場なんて屋敷周辺とこの浜辺くらいしかなかったもんな。俺も浜辺は好きだぜ。海ってだけではしゃぎたくなっちまう」
「それは精神がお子様なんだろー?私も人の事は言えないけどさ。あんまり長居すると日焼けしちまうから、ホドホドにしねーと」
「へへ、朱志香も日焼けを気にする年頃のオンナノコか。泥だらけになって駆け回った日が懐かしいぜ。……六年は長ぇな」
懐かしそうに屈託なく笑う戦人に、私も笑みを履きながら思い起こす。
そうだな、戦人。同意するぜ。確かに六年は長い。
交わしたいつかの約束を、相手が忘れてしまうくらいには。
「そういや、紗音が呼んでんだって?」
「おう、茶とクッキーの準備が出来たからってよ。こんなに晴れてんなら、真里亞と兄貴も一緒に呼んで、浜辺でお茶会にしてもよかったかもなぁ」
「それするには、今日は潮風が強いのが難点だなぁ……」
私が立ち上がったのを見て取って、歩き始めた戦人の背を追う。
バタバタと吹き荒れた風に、髪を抑えて振り返った。
青い海。青い空。砂浜。寝転んでいたシート。
わかってる。あれは夢のなかの話。
――ここには約束の白馬も、白馬の王子様も、いやしないのだから。