少し前に青春はレモンの味だっていうキャッチコピーなキャンディー会社のCMがあったが、コーヒー味が青春模様な人間が一ペアくらいいたっていいんじゃないかと俺は思っていたりするわけだ。







「寒いですね」
取り立てて目的もなくぶらぶらと道草食ってる子供のように辺りを歩いている最中に、古泉は素かどうか怪しい笑みを浮かべながら、俺にそう零した。

本日は、例によってSOS団不思議探索日である。
雪もちらつくようなこんな気温の日にまでわざわざ集合をかけて見つかりもしない不思議捜しに精を出さんでもと思うのだが、ハルヒ曰く、「もしかしたら不思議が冬眠場所にここら一帯を選ぶかもしれないじゃない。あたしは季節に選り好みしないの。大雪が降ろうが雪崩が街に落ちてきようがSOS団は活動を続けるのよ!」、だそうである。おかげで炬燵で一日をぬくぬく過ごしてだらだらと蜜柑を食うという俺のスケジュールは変更を余儀なくされ、班分けでいきなり古泉と同じ印つきクジを引いちまい、今に至っている。
古泉は暖を取ろうというのか指先にしきりに息を吹きかけている(それやると余計冷えるってことを知らんらしい)が、その程度でこの真冬の寒気に抗えるわけもなく、指は眼に見えて赤くなっている。
氷点下の寒気に皮膚部を剥き出しにしていれば、それはもう寒いだろう。妹と母親にあれこれ持たされて着込んできた俺といえば顔以外の露出ゼロ、ニット帽に手袋ブーツと完全防備の様を呈しているのだが、そんな俺を尻目に古泉は巻きつけた黒いマフラーの下から、ちっとも寒くなさそうな泰然とした微笑で、しかし冷え切っているのは瞭然な痛々しい両手を眺めている。

「寒いというのには全く同意だが、分かってるなら手袋ぐらいしろよ。それか、ポケットに手を突っ込むとかな。見てるこっちまで寒くなるだろうが」
「残念ながら僕のこのコートには、手が収まるサイズのポケットがついていないんですよ」
「嘘つけ、じゃあそいつはなんだ」

古泉が羽織っているのは一枚の黒のロングコートで、俺より長い脚を際立たせ、通りすがりの女子達が振り向いて古泉に視線を投げかけ囁き声を交わしていくぐらいには、様になっていた。身長差を浮き彫りにするような外套をわざわざ選ぶなと言いたい。大概の場合において観衆の眼に晒され、比較対象として扱き下ろされるのは俺だ。
話が逸れたが、取りあえずどっかのブランド物らしいロゴの入ったその古泉のコートには、明らかにポケットらしい差込が入っている。俺がそれを顎で示すと、
「これは飾りポケットですよ。容量はゼロに近いですから、ほとんど実用性を持ちません。あなたも手を入れてみれば分かると思いますが」
肩を竦めての古泉の弁である。おい、じゃあなんでそんなコートを選んだんだ。
「何故、と言われましても。偶々ですよ。今日、此処まで寒くなるとは思いませんでしたからね。手袋を用意しておくべきだったという忠言は最もなことだと思います」

少し困ったように微笑を弱めた古泉は、だがすぐに表情を改め、悪戯めかした何時もの笑みを形成して俺に接近してくる。睫毛の数をそのまま数えられそうな距離にまで、寒さの所為かいつもより色白さを増した無駄に整った面が迫ってきた。

「あなたがそのジャケットのポケットを貸してくださるなら、喜んでお借りするのですがね」
「誰が貸すか。大体気色悪いだろ、男ふたりで」
「冗談ですよ」

囁き声に悪い意味で鳥肌が立った。
ああもうどうにかしろ、こいつ。
俺はモスグリーン色のダウンジャケットを見下ろした。確かにポケット二つ、それも手首ぐらいまで余裕で入るようなビッグサイズ仕様だ。布の素材から考えると大して暖かいとも思えんが、仕方ない。俺はおもむろに両手装着していた手袋を脱ぎ捨て、ニヤケスマイルを絶やさない男の胸元にまとめて無理やり押し付けると、冷気にあてられて急激に冷やされていく俺自身の掌の方は自分のポケットに突っ込んだ。これでも風にそのまま晒してるよりはマシだろう。
押し付けられた男の方は、完全に予想外だったらしく目を真ん丸に見開いて固まっている。
そんなに呆気にとられるようなことでもないだろうに。

「あ、あの……?」
「お前が寒いって言ったんだろうが。今日一日貸してやるから温める方に専念しろ」
「しかしこれではあなたが寒いでしょう。万一あなたが風邪でも引いてしまったら事です。お気持ちだけ頂きますよ」
「そういう台詞は、唇が紫色になる前に言え」
しかも自覚症状はないらしいが、プラスして寒さで声が震えるところまで来ている。風邪引きかけなのはどっちだよ。
「ですが……」
「こんなポケットでも風を遮るには十分なんだよ。大体ハルヒの前に顔真っ青で集合してみろ、あいつがどう騒ぐか分かったもんじゃねえ。心配かけるのも、お前の役回り的には不味いんじゃねえのか」
納得がいかないように言い募っていた古泉だが、俺が「そんなに悪いと思うんなら、後でコーヒーでも奢れ」と言うと押し黙り、暫くの後にふっと溜息を吐き出した。それからデフォルトの笑顔に戻り、
「分かりました。ご厚意に甘えて、有難く使わせて頂くことにします」
と、手袋をやけに丁重な仕草で手に取った。
放っとけばあかぎれになりそうな白い手を、古泉は黒のシンプルな手袋に滑り込ませる。安物のバーゲン品なのに、こいつがやると妙に優雅に見えるのは俺の錯覚かね。
「どうだ」
「……暖かいですよ。それに、あなたの温度が残っていますね」
「だから、気色悪い発言はやめろ」
「ふふ、すみません。――ありがとうございます。助かりました」
やはり大分強がっていたらしい、古泉は寒さを凌ぐことのできた安堵からか、気の抜けた猫のようにふにゃりと笑みを崩した。こういう顔の方が実は素なんじゃねえかと外面だけはいいこいつを見て俺は思うのだが、それを指摘してみせたところで古泉は瞬く間に仏様のような微笑みくんへと逆戻りするだけだろう。だから、俺は心境を口にする愚は犯さない。……反動が恐いってのは、否定しないさ。

古泉が発言にやたら顔を近付けてみせたり、同学年の男子相手にしねーだろ普通、というような肌が粟立つような台詞を吐いたりするのも、こいつ流の回りくどい悪ふざけなのだということは分かっている。古泉はそうやってジェスチャーして、俺が浴びせる罵りを待っているみたいな節があるのだ。長門以上に分かりにくいジョークを駆使して俺をおちょくるのが古泉の趣味のようで、つまり、こいつは趣味が悪い。
俺は俺の手袋をプラスアルファした古泉の全身を眺めた。
黒のコートに黒のマフラー、黒の手袋だから、どこぞやの映画のエージェントを彷彿とさせる出で立ちではある。いっそサングラスでも掛けてみろ、ハルヒあたりが「古泉くんは秘密結社の一員だったのかしら、もしくはイギリスから派遣されてきた諜報員とか!」とか何とか言い出して喜ぶぞ。
「それはそれで面白いかもしれませんが、涼宮さんが僕達『機関』について邪推できてしまう展開は少々困りますね。何分、秘密結社と言われても否定できないところが」
「まあ、森さん辺りがライフルを持ち歩いてても絵面からすると違和感ないしな」
セーラー服と機関銃から発展して、今じゃメイド服にアサルトライフルが持て囃されるオタク文化世代だ。森さんのメイド服は朝比奈さんとはまた違った趣で似合いまくっていたが、彼女が見せた思わず平伏したくなるような怖い笑顔は忘れられるもんじゃない。
「それ、本人に言っちゃ駄目ですよ。実弾を見せられるかもしれません」
「……マジか?」
「マジです」
何処か引き攣った古泉の横顔に、俺は森さんがメイド服で笑みながら銃を乱射する姿を脳内にイメージし、それ以上の追求は控えた。誰だって命は惜しい。それはともかく、古泉も森さんには頭が上がらない様子が伺えるのはちょっとした収穫かもしれんな。いつかまた会えたときには、古泉の弱味でも聞いておいてやろう。


それから俺たちはあちこちを散策し、取りとめもない下らない話題で盛り上がったりしていた。結局何も見つからないまま再集合の時間となり、待ち合わせの公園で俺たちを待っていたハルヒは定例の通りに憤慨を露にしつつ表情は楽しそうで、あれやこれやと説教を垂れた後はいつものように解散の流れになった。朝比奈さんの控えめな手振りと対照的に小さく頭を上下に揺らした長門と、二人に挨拶を交わし、――そしてどういうわけか俺は、古泉と並んで帰っていた。
正確には、さっさと帰宅してやろうと思っていた俺を、古泉が引き止めたのだ。今日一日レンタルの約束だった黒い手袋を揃えて差し出した古泉は、バーガーショップでレジ担当になれば女性客の列を作りそうな爽やかスマイルを顔面に浮かべてこう提案した。

「割と評判の良い、美味しいコーヒーの店があるんですよ。あなたの時間さえよければ、手袋の御礼に御馳走させて頂きたいと思うのですが」
俺は少し呆れた。神人狩りのバイトで金銭面に潤ってて、通常の高校生の発想が出来なくなってるのか?
「確かにコーヒーくらい奢れとは言ったが、たかが手袋をほんの数時間貸してやったぐらいでお前は一々大袈裟だ。コーヒーって言ったら、自販機の缶コーヒーで十分なんだよ」
「そう……ですか?」
「そうだ」

大体喫茶店のコーヒーは、標準金額が馬鹿高い。今日も例によって罰金で奢らされた店も例に漏れず、だ。その分美味いというのも確かなんだが、それほどコーヒー通というわけでもない俺が選り好みするほど、自宅で飲むコーヒーと差があるわけでもない。缶コーヒーしかり。
懐は寂しいものと相場が決まっている健全な高校生としては、一杯何百円もするコーヒーをそう一日に何度も飲むもんでもないだろう。そんな高級嗜好は逆に胸焼けを招くに決まっている。
俺の台詞を、興味深い講義を初めて聴講する勤勉な学生のように相槌を交えながら聞いていた古泉は、「なるほど」とひとつ呟いた。
「分かりました。それでは――
古泉はぐるりと視線を逸らし、並木道のベンチ横に設置された自販機に眼を留めると、裸の人差し指を突きつけて、
「あれで如何でしょう」
そう、いつもより何割増しでか喜びを弾ませたような無邪気な笑みを浮かべて言った。



「寒空の下、男二人缶コーヒーか」
古泉が買ったホットコーヒー二人分のうち、手渡された方でひとまず手に暖をとる。自販機から出たての缶は熱すぎるくらいが通例だが、冷え切った手には丁度良い。古泉も腰掛けたベンチの凍りつきっぷりにもめげず、じっと掌でスチールの容器を包み込み、暖め作業に余念がないようだ。こういう様子を見ていると、谷口や国木田やその他諸々と同じ一般的な高校生に見えるのにな。
それにしても、やけに楽しそうだなお前。
「こういうのも、乙なものではないですか。実を言いますと憧れを抱いていたライフスタイルを思わぬ機会に経験できて、今日の僕は少々浮かれ気味です」
そう言われれば古泉の微笑は通常よりだらしがない――という表現は妙なんだろうが、いつもの澄ました笑顔仮面と違って、抑えきれない故の微笑といった風情だ。口の端が込み上げる笑いを噛み締めるようにきゅっと締まっている。お前は、男二人で缶コーヒーを飲むことがそんなに嬉しかったのか。意識することは少ないが、やっぱり微妙にずれてないか。
「いえ。こういう普通らしい経験を重ねていると、青春をしている……という気分になれるものですから」
「気分も何も、俺たちの年代が真っ盛りだろうが。枯れた年寄りの爺さんじゃあるまいし、そんな人事みたいに」
「それはそうなのですが」
カチリ、と蓋を開けて、温度を味わうように飲み口に唇を触れさせつつ暫くじっとしているという構図は、谷口辺りがやったなら何を格好つけてんだ気持ち悪いで一刀両断出来るところだが、やたら顔もスタイルもいい古泉がやると雑誌の裏表紙くらいはアップで飾れそうだから始末に終えない。オプションに常よりもやたらと無防備な笑顔が付属していりゃ尚更だ。
「僕の背景上、なかなか友人と二人で街を散策したり、ゲームセンターに寄ったり、こうやって当たり前に飲み物を奢ったり奢られたり、という事の出来にくい環境下でしたので。それを不幸と思いはしませんでしたが、寂しくはあったのかもしれません」
なんとも珍しいことに、世に稀に見る、古泉の心情吐露だった。穏やかに伏せた眼差しに郷愁が滲んで見える。
こいつの過去など知ったことじゃないが、この歳で訳の分からんそれこそ秘密結社に所属して、ハルヒが不機嫌になればやれ東へやれ西へと赴き神人退治に飛び回ってきたのだという経緯に、重いものがなかったということはないのだろう。俺が何と返答したものか気の効いた台詞を捜して考えあぐねいている間に、古泉はさっと自分の方から幕引きを図った。
「湿っぽくしてしまいましたか。忘れてください」
お前はあっさりと引き上げて相手が踏み込む前に自分からシャッターを降ろしちまう、その癖を何とかしろ。
特別説教めいた事を言うつもりじゃなかったが、咄嗟に思ったことが口をついて出ちまっていた。
「そんなの、これから幾らでも出来るだろ」
驚きを露にした黒瞳が此方を向く。だからそういう素顔で見られると、背中がむず痒くなるんだがな。いつもの似非じみた笑顔を貼り付けているより、悪い気はしないのも確かだ。
俺は手渡されたまだ熱い缶コーヒーを一気に煽り、喉に染み込む液体にやや咽つつも、その場の勢いというか衝動というかで、思いつくままを吐き出した。
「だから、ハルヒの力も弱まってきてんだろ。閉鎖空間が出ない休日なら、こうやってまた男二人で出歩く機会もあるだろうよ。……お前は俺たちSOS団員の奴らと青春を『作っていく』のじゃ、不満なのか」
「まさか!……大変、光栄に思います」
「なら、それでいいだろ」
俺に倣ってコーヒーに口をつけ、一息を吐いて、男は。
幸せそうに目尻を細めて、俺が女だったら一目惚れ間違いなしの極上の笑顔を見せた。
あんまり思い出したくない不本意極まりない記憶だが、不覚にも見惚れちまった自分に気付いて俺が悶々とするハメに陥るのは、それから暫く後のことだ。












「……ああ、そんなこともありましたね」
俺がそういえばと口にした昔話に、雪の降りそうな冬空を窓越しに仰いでいた古泉は、微かに身震いをして、裸の上に一枚だけ羽織ったシャツを握り締め微笑んだ。素足の覗く下半身が毛布を巻いている格好なのは、……まあなんだ、察してくれ。
古泉の住まいのマンションは高層何階建ての最上階付近にあり、その贅沢さ加減に最初は驚いたもんだったが、要するに「機関」所有だから格安で提供されたもんであるということらしい。俺が初めて訪れた頃、室内は男の一人暮らしとは思えないほどさっぱりとしていてインテリアすらなく、あまりにも広々としていて物寂しかっため、休日に古泉を引っ張って色々買い込んできたことも補足しておこう。リビングは、今じゃちょっとした賑わいのあるワンルームになっている。
適当に脱ぎ捨てた服に袖を通している俺とは対照的に、古泉は終わった後、少しぼんやりとしている事が多い。慣れない内こそ戸惑いもあってか終わった途端にシャワー室にすっ飛んで行っていたのだが、回数を重ねた今となっては行為に恥らう素振りもなく、事後の余韻の色気も何もない。まあしかし、これが古泉であるのだし、無闇に頬を染めて乙女仕草な古泉というのも気持ち悪いだけだろうから、その辺を執拗に求めても致し方ないだろう。古泉にあれこれ致しているのは俺の方な訳だが。
俺の脳内言い訳など聞こえない男の方は、無駄に昔を振り返ってしみじみとしている。
「懐かしいですね。あれからもう、一年近くになりますか。あっという間と称するべきかやっとと形容するべきか、些か迷うところではありますが」
「その台詞は春にも聞いたような気がするが、頷いておいてやるよ。数えるのもうんざりするくらい色々あったからな」

他宇宙生命体との抗争やら機関の分裂やら大事件が立て続けにあったり、相変わらず絶好調の団長様涼宮ハルヒがライブハイスを占拠してSOS団単独ライブを目論んだり、本物の幽霊が出る肝試しに巻き込まれたり、これだけで映画が一本取れそうなスペクタクルが頼んでもいないのに目白押しだったんだからな。振り替えりゃ懐かしむのですむが、もう一回繰り返したいかと言われたら全力で遠慮するぜ。
「それは同感です。けれど、――懐かしんでやれやれと笑えるなら、それはやはり楽しかったのだと思いますよ」
古泉の今の笑顔に裏はない。そのことを、俺の内心は奇特なことに喜ぶようになっちまっているらしい。
「お前、結構前向きだよな」
いや、前向きになった、と言うべきなのかもしれん。古泉は振り返り、首を傾げるようにした。
「そうですか?……そのように僕を評したのはあなたが初めてですね」
「変わったってことだろうよ。俺もお前も」
徹底従属姿勢でハルヒの付き人のイエスマン。愚痴のひとつも零れそうなもんだがハルヒの相手をしている古泉は心底悪くないと思ってるようで、その笑顔も演技ばかりではないんだろうことは当初から薄々感付いてはいたんだが、事件の度に俺に線引くように「最悪の可能性」を口にしてみせるこいつは、悲観的なんだか楽観的なんだか今一判断に迷うところだ。
「普通ならば一生成し得ないような愉快な経験をする機会を与えられて、燻っているだけでは勿体ないと思いませんか?
良い言葉がありますよ。人生、楽しまなければ損。――これは転入してからの僕の信条の一つでもありますね」
癪だから言わないが、古泉の台詞に俺は全面的に賛成してやれそうだった。俺のそれはハルヒに振り回されるうちに獲得した積極性であって、古泉の発言内容とは少しばかり趣が違ってるみたいだったがな。
それだけ、こいつは強靭なのだろう。山ほど抱えた苦労もハルヒや俺たちの笑ってる顔を見るだけで、恨み言も全部精算しちまえる精神のタフさと寛容さには恐れ入る。幾ら傷つけられようが立ち上がって笑う、おいそれとは真似できない芸当だ。
だけどな、だからかえって不安もあったんだぜ、古泉。疲弊を溜め込んでもお前は周囲を大事にし過ぎるから、誰も苦しまない道を進んで選ぼうとして勝手に深みに嵌っていく。助けを求めるくらいしろよと怒鳴りつけたのが半年前、俺と古泉がそういう関係に縺れ込んだのもそれがきっかけだった。プレイバックされたら堪らん台詞を並べ立てていた気がするから、出来るなら思い出したくないが。

「そろそろ服着ろよ。風邪引くぞ」
「はい」
「ついでに、台所貸せ。思い出し記念にコーヒーでも淹れてやる。インスタントだけどな」
「それは、有り難く」
ふふ、と微笑んだ古泉が屈みこんで上着を拾う拍子に、毛布の隙間から生足がちらつく。チラリズムの追求か。無自覚もいいがまた俺が燃え上がっても知らんぞ。
自動的に妄言を誘発しちまう脅威のワンシーン、古泉のベッドの上でさっきまで行っていたあれやこれやを脳裏にリピートしつつ、俺は勝手知ったる台所の棚から専用のマグカップを取り出して並べる。チェック模様で色違いの一揃えは雑貨店で気に入ったのを古泉が購入してきたもので、青が俺、緑が古泉のだ。恋人同士用、という札がついたカップをどんな顔で選んでレジに持っていったものやら、見損ねたのは惜しかったと未だに思うね。

手早く粉にお湯を足して淹れた一杯のコーヒーの、古泉の分にだけミルクと砂糖を付け足して持っていく。最近知ったことだがこいつは結構甘党で、おかげで喫茶店でも純コーヒー混じりけなしのブラックを飲んでいるところはついぞ見たことがない。
ソファに腰掛け湯気を立てるカップを受け取った古泉は、何度か冷ますように息を吹きかけたあと、躊躇いなくそれを口に含んだ。飲み込むときに白い喉が微かに動いて鳴る、妙になまめかしいのは古泉仕様と思うしかなく、俺がこんなことを思うのも俺が既に末期症状だということなのだろう。こういうところを見て冬季は炬燵でごろ寝が慣わしの我が家のシャミセンが思い浮かぶまではまだ健常だったと思うんだが、俺は何処からどうやってここまで来ちまったのかね。不毛の極みだから深くは考えないでおくとする。
「上手いか?」
「ええ」
「俺も飲んでいいか?」
「?……ええ、どうぞ」
「よし」
言質は取ったから拒否はするなよと念じつつ、俺は自分のマグカップをプラスチックテーブルに置いてから古泉の肩を抱いて隣接位置に座り込み、強引に引き寄せた。手元のコーヒーが零れそうになって慌てる古泉の顔を堪能するのもいいが、ぐずぐずしてると味がなくなっちまうからな。
古泉は眼前に俺の顔が迫ってから漸く事態を把握したらしく、表情を苦笑に切り替えて、それでも拒まずに唇を開いた。
「……ん……っ」
舌を滑り込ませて、古泉が飲んだコーヒーの味と、古泉自身を同時に味わう。歯列をなぞって絡めあった唾液に、甘いコーヒーの残り香が口の中に広がった。コーヒーというよりもうカフェオレだな、これ。
身を離すまでたっぷり時間をかけた所為か、キスがお仕舞いになると古泉はいそいそと口元を拭って俯いてしまった。心なしか目元が色づいて赤いし、やけに色っぽいのは古泉仕様としか言いようが――いや、実況はもういいか。
「……甘いですね、コーヒー」
「砂糖を大目に入れたからな」
「いえ、そうではなく」
黙り込む古泉の示唆するところを察して、俺はこの部屋に鏡がないことを感謝しておいた。
今の自分の顔がどうなっているか拝むには多少勇気が要りそうだ。
「着替えた後であれだが、いくか、もうワンラウンド」
――まったく」
あなたには敵わないと一つ呟いた古泉は、飲みかけでカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干し、隅に寄せたテーブルの上の俺の手付かずのカップに並べて片付けると、ソファに戻り俺の背に腕を回した。アルカイックスマイルに蕩けるような柔和さと甘さを加味して、俺の言葉を首肯する。
「コーヒー味のキスばかりでいいのなら、どうぞ、好きにして下さって構いませんよ」

俺の理性が衰滅するのを狙ってやがるのかと疑うほどのストライクだった。耳元をくすぐるように笑った古泉を抱き潰すくらいの勢いで抱き締めて、押し倒しながら再び舌を交じらせるキスをする。舌先からはやはりコーヒーの砂糖の味が染みて、やっぱりどうしようもなく、甘ったるい味が懐かしかった。







少し前に青春はレモンの味だっていうキャッチコピーなキャンディー会社のCMがあったが、コーヒー味が青春模様な人間が一ペアくらいいたっていいんじゃないかと俺は思っていたりするわけだ。さて、どうだろう?一考に価するとは思わないか?
缶コーヒーと共に青春してる全国津々浦々の学生諸君に、ぜひ話を聞いてみたいもんだ。
――実はこんな恋人がいるんだって、密かな自慢話と一緒にさ。