「何が食いたい」
空いた腹をなだめるため、プロイセンがコードレスフォンの前に佇みフロント番号を確認しながら訊ねると、ロシアはいの一番に呟いた。
「ポトフ」
プロイセンが「はあ?」と振り返ると、ロシアはベッドの上で笑う。
フランス君が、昔作ってくれたんだよね。さっきそのときの味を思い出しちゃった。
ぼんやりとした、ロシアの菫色の目が瞬く。笑顔はまだ夢見心地のようで、下がる眦が彼の幼さを強調する。毛布でぐるぐる巻きにした身体から覗いている素足は、骨格がしっかりしていて、男の棲家である雪原を思わせるような純白をしている。ホテルの一室は暖房が十分に効いていて、一晩裸で過ごしても風邪を引くことはないだろうに、プロイセンは事後にはなんとなくロシアに毛布を投げつけてしまう。それは、彼の色素がいつも寒そうにしているからだ。錯覚だとはプロイセンにも分かっていたが、それでもロシアに捕虜代わりに出張していた折からの習性なのだから仕方がない。
ロシアに言えば、「寒そうな色なのはどっちかっていうと、きみの方だと思うけど」と首を傾げるのだろうけれども。
「ポトフ?んなもん、メニューにあんのか。一応は高級ホテルだろ、ここ」
「頼めば持ってきてくれるよ。前ね、お願いしたことあるんだ。料理がウリだから、そういうのはサービスでつけてくれるんだって」
「ふーん」
じゃあ俺は酒でも頼むかな、とメニュー表からワインでなくビールを探すのは実にプロイセンらしかった。ムードもへったくれもない。だがそんなのはロシアも知った上のことで、二人ともロマンティックを一から求め探すような性格からは程遠かった。それでいいのだ。気まぐれの逢瀬さえ、彼らには特別な意味を帯びるものではない。
「お前もなんか飲むか?」
「僕はいいや。いまのうちにシャワー浴びてくるね」
ロシアはのそりと起き上がる。先に湯浴みを済ませていたプロイセンは、バスルームに消えていく後姿を眺める。
フランスで開催された会議に、プロイセンが弟のドイツと共に訪れたのは、ドイツが政務の忙しさから助っ人を欲していたためだ。そしてプロイセンが異国にてロシアに実に半年振りに再会したのも、出会っていきなり相手に拉致されて夕食を一緒にする約束を無理やり取り付けられたのも、無視してもよかったその約束を律儀に守る代わりに事に及んだのも、すべて、今日という日に偶然が積みあがって、結果的にそうなったというだけの話だった。
彼らの間に「劇的」は必要ない。
それが必要な段階は既に通り過ぎてしまったし、人肌恋しさにお互い暖を取るために触れ合うのにも、違和感を覚えなくなるくらいには慣れてしまった。
まあ、なんつーか、馴染みすぎちまったような気もしなくはねぇけど。プロイセンは厨房へ向けた注文を終えて、そんなことを思った。
初々しさなんてとうの昔に削ぎ落ちてしまって、まるで停滞期に入った恋人同士みたいだ。始まりが割合なし崩しな展開だっただけに、それから十年近くを経て落ち着いた現状がこうなのは仕方のない話かもしれなかったが。どちらにせよ、のんべんだらりとしたこんな夜が二人にとっての当たり前だなんて、どうかしている。
けど、どうかしてるってのに、一人楽しすぎる夜を過ごすことの多い自身としては、悪くはないと考えてもいたのだった。プロイセンは妙に照れた気分になり、頭を掻いて、羽織ったローブの紐の緩みを締めなおしながら、ベッドにだらりと腰掛けた。
(……でもなぁ。愛の語らいなんて、俺とアイツじゃ寒すぎるよなー)
この関係に言葉をつけられるような、そんな甘さがロシアの心の端にも残っているんだろうか。
当分はこのままでいいと、プロイセンは今のところ思っている。逃げ道を探してるわけじゃない。頭がのぼせあがってしまえば、その時に何を口走るかは、その時になってみなければわからないから確約なんてできはしないけれど。
そう、シャワーから帰る大きな男に、身を屈めさせてあやすようなキスをするほうが。
愛の言葉よりも余程、簡単に違いない。