「おー、ドイツが起きたよ」
重い瞼を奮起して抉じ開けたドイツは、泥のような眠りから目を覚ました。耳に入った第一声が暢気な、聞きなれた男のものだったから、状況がさっぱり読み取れていないというのに、無駄に力んでいた身体は自然と脱力する方向に落ち着いた。
意識が回復しはじめてから、鉛を何t分か頭に括りつけられた荷馬の気分を味わいつつ、鈍痛で働かない思考でまず思う。
……それで、ここはどこだ。「大丈夫ですか、ドイツさん。気分の方は」
「……日本、か?」
ドイツは、動かすのも億劫な頭をかろうじて、右隣へ傾けた。
寝かされていたのは目覚めの瞬間から分かっていたことだが、見知らぬ部屋のベッドの上。それも洗い立てらしい、潔癖症の気があるドイツにも十分に及第点が与えられる白いシーツが敷かれたベッドだ。
椅子に座ってほっとしたような笑みを浮かべる日本と、満面笑みのイタリアに遭遇した直後に、自分がビアホールに二人を連れ立ってきていたことを思い返した。
そう、久しぶりの休日でもあることだしゆっくりとビールを賞味しようと思っていたら、フランスやらイギリスやらが登場し、何がきっかけだったか口喧嘩を始め、五月蝿いから出て行けと仲裁に入ればこちらにまで罵倒が飛び火し、売り言葉に買い言葉で飲み比べ対決を―――
そこまで記憶を遡ったドイツは、一人でに青くなった。何杯目かのジョッキを掴んでから何も覚えていない。「――その、俺は……あれからどうなったんだ?飲み比べは?」
聞きたくないが聞かないわけにもいかないと、ドイツの生真面目な性質が訊ねさせた。日本が何処か疲れたように視線を泳がせるのにますます嫌な予感が募る。
「イギリスさんが途中で酔っ払って全裸になって、もう勝負どころではなくなったあたりは、そのご様子だと覚えていらっしゃらないようですね」
「………」
当然ながら覚えていない。
「イギリスも凄かったけど、ドイツも凄かったんだよー。イギリスが離脱したの気付かないでずっと飲んでて、勝負の残りのビール飲み尽くしちゃって。途中で酔っ払ったイギリスが暴れだして路上が大騒ぎになったときも、ドイツがいきなり立ち上がって『うるさい!』って叫んで暴れてたイギリスにプレスかけて気絶させて」
天真に言うイタリアだが、喋る内容はどんどん凶暴性を帯びていく。
「それから兄ちゃんがイギリス引っ張って帰って……ええと……そう、静かになった後にドイツがまた新しい瓶掴んできてテーブルについて飲み始めたんだ。そろそろ帰ろうよーって俺が言ったら、ドイツが『もう少し居させろ』って俺首絞められそうになって、ドイツの顔すげー怖かった。あ、でもその後少ししてからドイツ、泣き出して、裾掴んで『帰りたくない、イタリア』って、あの時のドイツはちょっと舌足らずですっごいかわいい――」
「うあああああああああああ!!」
聞きたくない聞きたくない!ドイツは全力で耳を塞ぎにかかったが、黒歴史になること間違いない昨夜の一幕を、絶叫で掻き消せるわけもなかった。
平時のドイツであればそもそも飲み比べだなんてイギリスやフランスの挑戦に乗りはしなかったはずだが、そのとき既に幾らか杯を重ねてほろ酔い状態であったドイツである。判断力の低下と、挑発に対して憤怒を抑え切れなかったことの相乗効果がもたらした悲劇といえた。――イタリアにはドイツの悲嘆ぶりの方が喜劇に思えたが。
「家までお帰りいただくのは難しそうでしたから、近場にホテルをとったんです。チェックアウトは昼過ぎにお願いしていますから、もう暫く眠っていても大丈夫ですよ」
「ああ、そ、そうか…。すまん。迷惑を掛けた」
さぞや酷い有様であったのだろうビアホールでの後始末を日本やイタリアに――恐らく大半は日本が一人で始末したのだろうが、任せてしまったことに後悔は絶えない。
ドイツの苦渋を見て取ったらしい日本が、やんわりと応じる。
「私のことでしたらお気になさらず。いいじゃないですか、若いころはこれくらい元気のある方が丁度いいですよ。ええ」
「日本……」
「それにしても、ドイツさんは泥酔するくらいになると、泣き上戸になるんですね」
あれはとても貴重なお姿でした、と小さく頷く日本にドイツは思った。……今、まさに泣きたい。
* * *
日本が「何か朝食にできるようなスープと、薬のほうを頂いてきます」と部屋を出て行くと、無意識に張っていた虚勢も剥がれて、ドイツはぐったりと息をついた。
喋り疲れだ。ほんの少ししか会話していないというのに。
枕に沈み込ませた頭は、貼りついたようでまともに動かす気にもなれない。後頭部に銅の鐘をしきりに打ち鳴らされているようだ。
ドイツは無類のビール好きではあるが、前後不覚になるほど飲みまくることは少ないので、昨晩の己がこんな二日酔いに悩まされるほどの量を消化し、一体どんな醜態を晒したのかがひたすらに恐ろしかった。叩けば叩くほど埃が落ちてきそうだ。
「ドイツ、ドイツー。大丈夫?具合さっきより悪いみたい?」
ドイツの変化に、イタリアがわたわたと慌てだした。日本呼んでこよーかどうしようか、と相変わらず落ち着きがないが、このイタリアに自分は昨日あらん限りの不様を見せてしまったに違いないのだと思うと、ドイツは顔から火を噴く思いだった。毎度厳しく律していながら、――まったく、なんてザマだ!
無論ドイツは、暑さのあまり上着を順番に脱ぎ捨ててストリップを始めそうだったのを必死に皆に止められたことや、最後には何の箍が外れたのかぼろぼろと泣き、頭を撫でられているうちに寝入ってしまったドイツの寝顔をビアホール中の人間がしげしげと眺めていったことや、日本がその寝顔を写真に撮りまくっていたことや、密かにその写真の取引の密約が各所で交わされていたことなどは露知らない。「……心配はない。少し疲れただけだ……」
「ほんとに?」
「本当、だ。薬飲んで安静にしていれば治るから、そう過剰に気を遣うな。お前がそんな風だと、俺の調子が狂う」
いつも通りにしていろとドイツが言うと、イタリアは少し考え込むようにしてから、懐っこい笑顔をぱっと浮かべた。
「うん。じゃあ、遠慮しないでありますっ」
「いや、やっぱり少しは遠慮してくれてもいい……」
「ドイツ、ハグー!!」
帰りを待ちわびた主人の元に走る犬のように、返事を待たぬイタリアに勢いよく飛びつかれ、受身のとれなかったドイツは潜り込んできたイタリアの分を、強制的にベッドの壁際に追いやられた。突進に受けた衝撃で、転がされた拍子に枕から頭が落ちる。がくん。頭を刺すような痛みに、意識が遠のきかけた。
「お、お前な……!」
「我慢できなかったから!ね、ドイツ、キスしてもいい?」
さっきまではドイツの具合が酷そうだったから我慢したんだよー、と、威張ることでもあるまいに胸を張って言う。それなら飛びついてくるときもう少し前振りを寄越せと思うのだが、ドイツは間近で見つめてくるつぶらな瞳に、怒る気力も削がれた。
「そんなに、急かしてやるようなことでもないだろう……。大体、その、いつもしてるだろうが」
「だって、昨日のドイツ可愛かったし。今のドイツも可愛いけど」
だってってなんだ。
そこを繋いでも意味は通じないぞと突っ込むより先に、イタリアの手が伸びて、ドイツの額を撫でた。上げたままだった前髪の、ほつれ部分が引っ掛けられて下ろされる。それからイタリアの指の感触が、ぞわぞわと耳元を辿っていく。
「っ……ん、イタリア。こら」
「ええ、だっていつもやってるってことは、許可貰ってなくてもやっていいんだよね?」
「『だって』じゃない。お前、止めてもやるだろう」
「ダメ?」
むー、と悄然としたイタリアの顔が見たいわけではなくて、ドイツは嘆息した。半ば、諦め混じりに。
「……少しだけだぞ」
イタリアの表情が、分かりやすく明るくなる。
「了解であります!」
了承を得て嬉しげなイタリアが、さっそくドイツに唇を重ねた。舌が慣れた調子で滑り込んできて、ドイツは瞼を閉じる。体調は最悪で、二度と覚めない眠りにつきたいくらいなのに、どうして俺はベッドでイタリアとキスをしているんだというドイツの思考は途中から放棄された。
イタリアとのキスは気持ちいいので、それだけでどうしようもなくなってしまったというのが理由の一つ。
もう一つは、これ以上昨晩のアクシデントについて考えていたら、ドイツの脳内が恥辱で破裂しそうだったから――という、これまたどうしようもない話によるものである。ドイツは片隅に思った。
酒は飲んでも飲まれるな。至言だ。
イタちゃんを可愛く書けなかったことに遺憾の意。
絵茶にお邪魔した際の素敵な酔いどれドイツっぷりに妄想を文に書き起こしたもの。澄さんに捧げさせて頂きました。