I want to kiss you !




「ちょっと悔しいです」

 隣に、影のように歩む少年が漏らした一言に、火神は一瞥をくれた。
ハードな練習メニューをこなして、帰りがてらにマジバに寄るために並んで歩く、通例の夜。
 このところは、黒子の告白に端を発したお互いの変化もあって、二人は待ち合わせて店に顔を出すようになっていた。
 火神は今日の部活内容をお浚いし、黒子が悔しがるような特別なことがあったろうかと心当たりを探ったが、生憎と思い当たるところはなかった。しいて挙げるとすれば、熾烈さを増すカントクの扱きに黒子が早々にバテ気味であったことくらいだ。黒子の体力のなさは、入部したての頃から黒子自身が認めるほどに周知の話で、それも今更である。


「悔しいって、何が?」

 思いつかないなら聞きゃ早いとばかりに、質問を投げた火神が見下ろす先で、黒子は瞬いた。
闇に沈んだ街に、街灯が白く少年を映す。

「キスができないじゃないですか」
「……は?」

 また唐突にコイツは何を言い出しやがる。火神が目を剥くのに構わず、

「ボクもしたかったんです。帰り際に」

 いたってマイペースに、ほんの少し無念そうな調子を含ませて黒子は言う。

 火神はようやく、かろうじて、黒子の発言の原因に思い立った。
 今日の帰り際、二人きりの更衣室で、火神が黒子のこめかみに軽くキスを落とした。疲労困憊でいつも以上にくたくたになっている黒子が、それでも弱音の一つも吐かずに体力作りに勤しんでいることを思って、何となく労わってやりたいような撫で付けてやりたいようなむず痒い気分になって、突発的にやった行為。
 あの時は黒子も随分驚いたような顔をしていた。どうやらその一度の気まぐれのことを、黒子は根に持っているらしかった。

「こうなると、身長差は多少ネックです。火神君はしたいときにできますけど、ボクはキスしたいときにできないんですから」
「何かと思ったら、んなことかよ……。そりゃ、諦めるしかねーだろ。発育が違うんだから。お前が急に二十センチアップするような奇跡でも起きねー限り無理だ」
「色々療法を考えたんです。家なら、座ってもらえさえすれば身長差は何とかなります。問題は学校です。考えたのは、底上げ靴を常時履くとかですが」
「いや、それバスケできねーだろ!っつか学校ではやらねー」
「部活でしかけてきたのは火神君じゃないですか。まあ、言われるとおり底上げだとバスケができないので、それは却下しました」

 淡々と悪びれた様子もなく述べる黒子に、よく部員とカントクから――あまつさえ黒子からも――バカにされる火神は嘆息した。
 誰も言わないからオレが言うが、真面目な顔しながら、こいつも相当なバカだ。

「ったく、したいなら言やいいだろ。お前がしたいときは、オレが屈んでやっから」

 頭をぽんぽんと叩くと、黒子は珍しく目を瞠り、喜びと悲しみの感情の狭間を彷徨うような、複雑そうな顔を無表情から浮かび上がらせた。

「……はい」
「テメー、不服そーだな。文句でもあんのか」
「いえ。そんな風にあっさり言ってくれるとは思っていなかったので、むしろ嬉しいです。ただ……」
「ただ?」
「努力は欠かさずにおこう、と思いました」

 繰り返すが、黒子は大真面目だ。多分これからも牛乳は欠かさず飲むだろう。火神に僅かでも追いつくために。

「……おう。がんばれ」

 それ以上に言えそうな言葉もない。息をついて、応援の意味を篭めて髪を掻き回してやると、黒子は「痛いです」と顔を顰めた。