ホームに列車が滑り込んでくる。よく響く汽笛。どっと溢れ出した人波のなかで、別れ際にほんの僅かに会話した。

「……これっきり、かもしれませんね」
――
面を見返すと、美しい金髪を切り揃えたリザは、困ったようにはにかんだ。
「マスタングさん、どうか……貴方の望む未来が、訪れるように。祈っています」
「ああ。信じて託して貰った火印だ。できるところから、始めていくつもりだよ」

夢、理想。青臭いと嘲笑されるかもしれないが、それでも護りたい国への心。
師の葬儀を終え、リザに師の秘伝を明かされ――
時の流れは、早い。出立の日となって、見送りに立った少女は、願いを指先に篭めるようにして握手する。
 最後かもしれない。師が死んだ今となっては。何かあれば連絡をくれるようにと念押しをして手渡した住所も、相手に迷惑となると身を引く彼女にとっては不要なものとしかならないかもしれない。

「……幸せに、リザ。父君の分まで、君の祝福を」
「ありがとうございます」
そっと手を離し、トランクを引き摺って入り口を上る。閉められた扉の窓越しに、眼を伏せて。
――さようなら」
 良くしてくれた恩師の娘への、ただ当たり前に与えられるべき幸福を、想った。













火が。家屋の一端も残さず舐め上げて、くずおれた先から灰になる。焼けて、零れて、炭化して、最後には地面に散らばった。
 エドもアルも、じっと見ていた。自分が生まれ育った家が、お母さんと一緒に幸せな日々を送ってきた家が、綺麗に燃え尽きてなくなってしまうまで。
 
「…」
 言葉が出ないまま、しゃくりあげながら、何であたしが泣いてんのって自分で自分が分からなかった。家具も写真も洋服も全部、大好きだったひとの痕跡まで燃やして、それで後戻りしないように覚悟なんて。バカみたい、だった。
「これでもう、後戻りできねーな」
エドがつぶやいて、火種を放った鋼の腕をみつめる。新しく身に着けた、エドがたたかうための腕。

―――本当は、戦ってなんてほしくなかった。
だけど、そんなふうに意志を固めなきゃ、きっとお母さんが生き返らずに車椅子の上で沈んでいたあのときみたいに、エドは廃人でいたのかもしれない。アルは元の身体に戻ることも全部あきらめて、ただじっとエドの傍にいるしかできなかったかもしれない。
 だから、あたしは。
 
「あたし、待ってるから。ちゃーんと、メンテナンスには定期的に戻ってきなさいよね!」
 大声で怒鳴るみたいに叫ぶ。エドはちょっと驚いたような顔をして振り向いて、それから「おう!」と笑った。

「……ばいばい、エド、アル」
 二人並んで、エドとアルは歩き出す。スパナを握って、あたしにはリゼンブールでやることがある。今は、眼を逸らさず見送るから。あんた達の背中。
 だから、きっと帰ってきて。

―――行ってらっしゃい」













血が滲む。爪を立てた先から、望まぬ刺青を穿たれた腕を、兄の命と代えに手に入れて。
地獄絵図を這いずり包帯を剥ぎ取った。
 一面の闇だった。
 地は抉れ、屍が連なり、かろうじて息のあるものも血泡を吹いてもはや長くないことは明らかだった。裂かれた額から溢れ出したものが顔を、胸元をどす黒く汚す。 
悪魔の所業に故郷は滅ぼされ、同胞は無念を吐きながら次々に息絶えていった。何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも!

「呪われろ」

 もはやこの身に、何があろうか。


 呪われろ。
 呪われろ。
底なしの憎悪が視界を滾らせる。己の眼の赤が悪魔を殺す眼力を宿すならばそれも好し。贖いなど求めない、誰にも赦されぬ、例えイシュヴァラに背きし行いとて果たして見せよう。復讐者はイシュヴァールの民すべての代弁者。殺し尽くせ、滅ぼし尽くせ、我らを謂れ無き罪にて一方的に殺戮した卑しき国家錬金術師共に。

―――去らば、去らば、去らば!」
イシュヴァルを謳いし我らが故郷。愛し友、家族、師。


「己れは今宵より殺戮者とならん!」

 獣ほどに放たれた咆哮が、高く、高く。












 「ばかなやつ」

 嘲笑が口から零れた。与えられた逆転の折角のチャンスだったっていうのに、自分の方からその機会を棒に振った。
 血塗れのテレフォンボックス。
少量の資料から此処にまで考えを巡らせた頭は誉めてあげてもいいけど、ツメが甘い。これだから人間ってのは愚かきわまりない。それでも無様に這いずって足掻いて、そこから絶望に落ちていく様は自分を退屈させないから、人間を使って遊ぶのは楽しい。――反抗されるのはムカつくから嫌いだけどさ。

「だぁーいすきな奥さんに撃たれて死ぬなんて、本望だろ?感謝してほしいね。……まあ、」

額から血がどくどくと溢れて。
割れた眼鏡の奥を覗き込んで、にたり、と笑った。
「もう聞こえちゃいないだろうけど」



さようなら、人間。

落ちた写真を軽く踏みつけて、鼻歌まじりに歩き出した。
さあ、本当のお楽しみはこれから。馬鹿な人間たちをマリオネットにした、愉快なショーの始まりだ。












「……ありがとう」
 エドに向けた電話を下ろす。振り向けば夫がいて、無言でこちらを見つめていた。耐え切れそうにもなく、胸に顔を寄せる。
これなら、できる―――失った生命を取り戻せると信じた日。本当に、愚かだった。完璧だと考えた錬成理論も、弟子の論の前にすべて否定されて。

それでも胸に残ったのは、場違いな安堵だった。
 
慟哭の中手を差し伸べ、それでも届かずに。震えて息絶えた赤子のまがいもの。内臓が捻じ切れたような痛みに吐血しながら、救いを求めても何も返りはしなかったあの夜。
「私は、あの子を殺してはいなかった…」
――イズミ」
「こんなことで罪が減るわけじゃないのは分かってるんだよ、あんた。……それでも、」
「分かっているとも」

 抱き寄せられる中で、堪え切れなかった涙が溢れた。

 あの絶望に、手繰り寄せられた一掴みの希望。兄弟の前にはきっとそれがある。真実を勝ち取るための足がある。
 あの子たちは見出すだろう。答えを。わたしに出口の道を示してくれたように。

……今からなら、向き合えるような気がした。あの子の死と、自分が犯して死なせた者への罪。墓前に立って、ようやく。
 しがみ付いてしまっていたあの子を解き放ってやれる。
「さようなら、…おかえり、私の子」
 押し付けた先の温もりに目を閉じた。呟きは溶け、夜は、静かに更けていく。












「とんでもないことになりましたね」
 集まった中央司令部の一室には、大佐が選んできた、そして私も長い時を東方より連れ添った彼らが待っていた。もう明日には皆、此処を出立しなければならない。
とても真摯な瞳が、並んで私を見遣る。
「……そうね」
 先ほど受けたばかりの、異動命令が頭を巡る。上層部全てが黒だ、と表したマスタング大佐のこともあった。
他に言葉が見つからずに、眼を伏せる。実質、大総統補佐に選ばれた私は人質の扱いとそう変わらない。
「あー、これで栄転から見事に遠ざかったな」
「折角中央まで来たのになあ」
「戻ってくるのも一苦労ですもんね…」
 口々にブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長。けれどまるで諦めていない口調が、彼らの豪胆さを物語っていた。異動を言い渡されたときの焦燥感は消え失せて、悲壮感もなにもなく、ただ自分がやるべきを行うことを信じた人間達の顔。 
「大総統の傍じゃ、中尉が一番キツそうですけど、俺らも情報収集に励んどきますから。無理せんでくださいよ」
「上手いこと北・西・南と、それほどツテのない地域に飛ばされたことですし」
「仲間増やすのには丁度いい。何とかできますよ、きっと」
「……あなたたち……」
 微笑が自然と浮かんだ。これでこそ、大佐の従士だ。戦うことを定めた仲間。上り詰めることを断念するなど、全く考えもしない彼ら。

「ええ。――ここで別れ別れになるけれど、必ず集いましょう。この場所へ」
 一旦は別れを告げてもいい。それでも。
決して諦めたわけではないのだから。













「全く、とんでもないっすね」

一日一本の煙草を吸い終えて、事情を一通り聞いた後ぼやいた。全くしょうがない。俺が居ない間にどんどん展開が変わっていくのも仕方がないってのは勿論だが、何もかもが蚊帳の外扱いなのはいくらなんでも。なあ?

「あんたがボーッとしてるから、中尉盾に取られたりするんですよ。反省必須ッスね」

 ゆっくり笑って。
ああそうだ、それでも。今俺は取り立てて被害を被っていない。退役した後だから考慮に入れられなかったのだろう。唯一、救いと言ってもいい。


「あんたとかブレダとかのお陰で、こっちは諦めたくても諦めらんねぇし。責任とってくださいよ、絶対のしあがって追いついてやりますから」

 だから聞いてくれ。
あんたが悲壮な顔で全部受け入れて項垂れてる様なんて、ひとつも想像しなかったし、それは正しかった。
 俺に這い上がれと焚きつけた張本人が、そんなことで躓く筈がない。
―――
信じてるのは、俺だけじゃないんだ。

「一応、さよならとは言っときますけどね。…んじゃ、もう一言」

 あんたや中尉やブレダ達の隣に俺がいなくても。信じてることってあるんスよ、大佐。

―――必ず、また。会いましょう」






 
爪先立って見る、遠い理想の階段の向こうにも誓いを立てて。










Farewell,Farewell,Farewell.

And see you again.