サッカーの親善試合の観戦のため、一時的に日本へ帰還した天城がホテルでくつろいでいた折のことだった。ノートパソコンを開いてメールをチェックしていると、風祭から一通メールが届いている。履歴を見ると、一時間ほど前の受信となっていた。内容は、天城が滞在しているホテルのルームナンバーを教えて欲しい、というもの。
 風祭とは明日落ち合って、食事を共にする予定だった。まさか今からここを訪れるつもりなのかと、不思議に思いながら天城が律儀に返事をしたため、風祭のアドレスに送り返したそのきっかり五分後。
 高級ホテルらしく滑らかなつくりをした、201のプレートが掲げられたそのドアの、呼び鈴が勢いよく鳴らされた。

 天城は当然、風祭が来たものだと思った。しかし、どうにも、その遠慮を知らない鳴らし方は風祭というキャラには似つかわしくないような気もする。天城は疑問が晴れない頭を抱えたまま、ドアチェーンを外し、訪問者に対面した。
 向かい合った先にいたのは、風祭ではなかった。


「邪魔するぞ」
「………不破!?」

 天城は、久方ぶりに見る友人の顔に、唖然とした。
 以前に帰国したのは七月も下旬の夏だったから、不破と直接顔を合わせるのはそれ以来、三ヶ月ぶりということになる。が、問題はそこではないだろう。ずかずか部屋に踏み入る不破に、慌てて天城が振り返る。

「どうしてお前がここに……!」
「風祭に聞いた」

 にべもなく不破は言う。

「風祭にルームナンバーを報せたのは、ついさっきだ。もしかして、風祭と一緒にいたのか?」
「いや、風祭とは会っていないが?」
「じゃあなんで……」
「お前に用があったが、俺にはお前への連絡手段がなかったからな。風祭に部屋番号を聞き出すよう頼んだ」

 メールの返信を受けて、風祭の連絡からここまで足を運んだのだという。なんだ、それは。
不破の理由を省きまくった説明は天城の混乱を煽るに十分で、天城は驚く以外に思考が回らない。


「ふむ。豪奢な部屋だな」

 堂々と天城の宿泊場に進入を果たした不破が、簡潔に部屋の感想を述べる。

「ああ……。父さ……父が、戻るならこっちでホテルを用意するから、そこに泊まれと聞かなかったんだ。俺は別のところに泊まるつもりだったんだが」
「風祭と別の泊まりなのはそのためか」
「まあ、アイツは家族と元々過ごすつもりだったみたいだからな」

 天城はそこで、不破に細かく目をやる。
 黒い服を割合好んで着るのは変わらないようで、不破の出で立ちはジーンズもスウェットシャツもブラックに統一されていた。唯一違って見えるのはリストバンドが茶色であることだ。そしてそのリストバンドは、覚えがある。
 天城が不破の誕生日に、イリオンと一緒に店を選んで贈ったブランド物だ。前年の天城の誕生日、杉原たちと共同で不破も一緒に祝いの品をくれたことに対しての、お返しの品だった。

 わざわざ天城の誕生日プレゼントを身につけ、わざわざホテルに押しかけてまで、不破の方にある用事。
天城には、まったく見当がつかなかった。


「それで、不破。その……俺に、何の用なんだ?」
「そうだったな」

部屋に観察眼を向けていた不破は、くるりと天城に向き直り、

「協力してくれ」

とだけ、天城に訴えた。

「緊急を要する。お前は明後日には出立するんだろう?」
「……日程から言うと、そうなるな。夕食は風祭達と一緒にとって、雨宮に挨拶してからのつもりだ」
「なら、やはり取れる自由時間は今しかないな」

 確かに明日以降は日本で過ごすスケジュールをかなり詰めてあるから、一番自由になるのが今の時間帯であることは間違いない。どうしてそこまで詳細な予定を不破が聞き知っているのかも疑問だが、それも風祭に根掘り葉掘り聞いたのかもしれない。天城はその辺りは、深く考えないようにした。

「もう少し、説明が欲しいんだが……。何か、深刻なことでもあるのか?」
――検証したいことがある、としか言えん。それが深刻なのかどうか、俺には判断がつきかねる。データ不足でな。常なら一人で調べるところだが、この件に関しては調査に相手がいなければどうにもならん。そしてそれは、風祭のアドバイスから総合するに、お前が適任らしい」

 風祭のアドバイス、と聞いて天城はあからさまにほっとした。
 風祭が間に立ってのことなら、そこまで不穏な話でもなさそうだ。何事かに不破は困った事態に陥っており、その脱却のために天城の助けを必要としている。
 そういうことなら、一肌脱ぐのは天城としても吝かではない。不破のことは大切な、自分にとっては数少ない友人の一人だと感じている。自分にできることがあるなら、手助けしたいと思うのはごく当たり前の感情だ。

「俺なら、お前のその悩み事の解決に一役買えるのか」
「ああ」
「わかった、俺にできることなら協力する」
 天城が鷹揚に頷くと、不破の口元が微かに笑った。
「そうか」

 天城の返事に気を良くしたらしい不破は、すぐに無表情へと返り、ショルダーバッグをごそごそと漁り始める。
 何を取り出すのか、じっと不破を注視していた天城の前で、不破は何かの菓子箱を取り出し、ビニールを破いて中身を取り出すと、スティック状のその菓子を口に銜え込んだ。


そうして天城の目の前に、やがて「それ」は突き出された。


「あなたもわたしもポッキー?」


不破は平坦に告げた。
天城は凍りついた。

 

「…む。どうした」

 反応のない天城を見上げる不破は、何故相手がすぐにでもポッキーのもう片側を銜えに来ないのかを訝しく思っているようで、「待ち」の体勢に入ったまま動かない。顔つきには照れも恥じらいもなく、平然としている。歯の間に物を挟みこんで喋っているにしては、口調も淀みなかった。
 天城といえば、当然ながら状況が呑み込めない。

(ちょっと待て、なんだこの絵面は!)

 天城の背を汗がだらだら流れる。天城が承諾したのは、不破の「検証したいこと」に付き合う、というものであった。そして不破がポッキーを銜えて差し出しているということは、所謂この『ポッキーゲーム』が不破の意図していた実験だということなのか。……そんな馬鹿な。

「不破。俺にはまだ理解が足りないみたいなんだが、お前が言ってる検証ってのは……」
「そういえば趣旨の説明がまだだったな」

 持ち手のスナック部分を手に取り、ポッキーを一旦口から引き抜くと、不破は天城に再び目線を合わせた。

「散歩中に、公園で男女が一本のポッキーを両端から食べあっているのを目撃したんだが」
「……ああ」
「丁度行動を共にしていた藤代によると、ポッキーを二人が両端から食べあい完食することを競う行為は、『ポッキーゲーム』という俗称のある、かなりポピュラーな遊びらしい。興味を惹かれた俺は、暫しその男女を観察することにした。
チョコレート部位が削られ減れば減るほどに、口と口の間で水平に支えられていたポッキーはバランスが崩れ、不安定になる。男女の身長差があれば尚更、このゲームのクリアは困難になる。案の定、男が口を離してしまい、中間部分を落としていた。このゲームにおいては、目的を達せられなかったのだから明らかな失敗であり、男はゲーム上の敗者だ。
おまけにこの遊びは粉が散りやすい上、チョコレートが溶けることも考えれば衣服も口の周りも汚しやすい。ポッキーを消化するにも非効率的だ。何が楽しいのかわからないゲームだが、男は敗北したにも関わらず笑顔で、女の方もまったく意に介した様子がない。その後は結局キスを交わし、男女は酷く楽しそうだった。……俺には不可解極まりなかった。ゲームに失敗した上、結局キスをするのでは意味がない。得るもののない行為に勤しんでまで喜びを得るのは、どういった理由によるものか?」

 不破は普段は寡黙といっていい性質だが、彼自身が弁舌を振るう機会ともなれば、途端に饒舌になる。天城は不破の説明を聞きながら、薄々、不破の突飛な行動の意味を察し始めていた。しかし、それにしたって何故自分なのか、という思いは拭えないが。

「つまり――ポッキーゲームの楽しさを理解するために、実践をしたい、と。そういうことなのか……?」
「有体に言えば、そういうことだな」

 いっそ傲慢といってもいいほどに、何のてらいもなく頷く不破に、天城は脱力した。
 不破ならやりかねない、不破なら行き着きかねない思考回路。とはいえ、何も聞かないうちから協力にイエスを返した自分のうかつさを天城は呪う。

「事情はわかったが、それで何で実験の相手が俺になるんだ! そういうのは普通、男女でやるもんだろう……。お前なら相手はいくらもいるだろうに」

 顔を赤くし、ヤケクソじみた声を上げるうちに情けない気分になってきた天城に、不破は「それなんだが」と至って真面目に呟く。

「ポッキーゲームの検証には、ただの男女では駄目だ。一般的には、あれは『恋人同士』がやるものらしい」
「……普通は、そうだろうな」
「しかし俺に恋人に該当する人間は居ない。周囲に恋人を持つ人間がいれば情報を収集することも叶うが、あいにくと俺の周りに恋人持ちはゼロだ。どうしたものかと風祭に近況報告がてら相談したところ、風祭は俺に代替案を出した」

 その代替案が「天城に頼んでみたら?」という人身御供的な代物だったとしたら、恩のある友人風祭相手といえども締め上げざるを得ない。それとも、風祭に遠まわしに嫌がらせを受けても仕方ないような、気に障ることでもしただろうか。いや風祭はあれで天然めいたところもあるから、もしかしたら不破への推薦にもまるで悪気はなかったのかもしれない。天城が風祭とのこのところの友人関係について思いを馳せていると、

「代替案は、俺が恋愛的な意味合いを帯びた好意を抱く相手に、ポッキーゲームの相手を頼んだらどうかというものだった」

不破が、天城の思考を真っ二つに切り落とす爆弾を落とした。



天城は本日二度目のフリーズ。

不破は構わず続ける。

「確かに俺自身が恋愛的感情を持った相手とポッキーゲームを行うことができれば、その条件は恋人同士が行うポッキーゲームとほぼ等しい。俺の究明したい謎を解明するとっかかりくらいにはなるだろう。そういうわけで、俺はお前にポッキーゲームの相手を要請に来た。以上だ」

言い切った不破は何故か誇らしげに顎を逸らし、「質問はあるか?」と居丈高に言い放つ。

天城はもはや見ていられないほどの顔の紅潮を隠せず、それでも掌で口元を覆って意味のない抵抗をしながら、


「……それは、……お前が、俺を好きって意味なのか?」
「言っていなかったか?」
――っ、聞いてない……!」


 きょとんとした真っ直ぐな瞳に見上げられ、天城は居竦む。不破の目に宿るのはマジと書いた本気。不破の手の中には溶けかけたポッキー。
 迫られる選択。残されたタイムリミットは、今日一日。

 顔が熱い。天城は喉を震わせた。 


 鼓動が痛いくらいだ。答えを出すことを、先延ばしには出来そうにもなかった。