01 残像を纏(まと)う 
[Jade]






 滅びてしまえ。


 物騒な言葉が口を突きそうだった。感情が、制御限界を1mmでも越えるのは珍しいことだ。死者の世界のような酷い静寂のなか、眼が覚めた。



 いつだったか。寝言も寝惚けも生憎と、経験したことが一度もないことを言えば、同行者たちは思い思いに笑った。それはそれでつまらないものですよネタがなくて、笑み含んで告げた言葉は、誰も気付かなかっただろうが本心だった。
 忘却不可の夢ばかり再生されては、暢気に余韻を引き摺るなどまず無理だ。さしたる意味を感じたことはない。くだらない夢に浸る感傷には持ち合わせがない、というのに。





(今度こそ機会を逃さず)
(俯いて思索に没頭する小さな子どもを)
(悪魔と罵られる子どもの首を、)



 首筋に手をかける、振り返る子どもの眼は決まって赤い。






 
 骸を漁る残像。逃げるためではなく焼き付けるために眼を閉ざす。
わずかな暗闇の刻に、氷のピジョンブラッドと睨みあう。

 生々しい感情論とは無縁の自身が、唯一心から憎める相手が自分の影であることの、痛烈な皮肉ついてだけは考えないようにしていた。



 



過去に戻れたら自分を殺す、そう本気で言うことの出来る彼の強さと弱さ。













02 途切れた階段 
[Guy]







――ああ、もう、繋がらない。
 


 
 薄氷のような、哀しい空が見えた。もう一歩踏み出せば落下。中途で切り崩れた白石の階段は、故郷を見渡すに十分な高さを備えている。その一角ですら、芸術品のような細工が至る箇所に。
 

 此処はどうして、此れほどまでに美しかったのだろう。 
光溢れる庭、女神の像が居座る噴水の名残。家紋があしらわれたアーチ。外壁の外には優しい新緑の芽吹きが、色とりどりの花が咲いて、世界を彩っていた。冬場には手を翳したあの暖炉、姉がよく腰掛けていた揺り椅子。――燃えて、すべて失われたと思っていたのに。


 楽園であったかもしれない、確かに此処は――そう信じてしまえる理想郷。現実にあるから、錯覚してしまいそうになる。



(ああ、だけど、ヴァン)

 お前は此処に立ったのではないのか。それならば知った筈だ、いくらフォミクリーの技術を利用したとて取り返せなかったものたちを。
 年月と戦場の斬撃で砕かれた、この向こうに続いていた階段。踏み締めようとしても、足は空を跨いで転落してしまう。

 記憶が覚えているとおりに、お前の手を握って、駆け上がることなんてできやしないのだ。

 知らないふりをどれだけ続けても、なくした刻を埋め合わせることはできないのに。





―――ガイ。大丈夫?」

 こつり、階段を上がって、声。後を静かに追ってきた少女の亜麻色の髪が靡く。視線だけ寄せて、そういえば彼女と兄の色素はよく似ているのだと、当たり前のことを。

「大佐が、そろそろ出発しないか…って」 
「ああ……そうか。分かった」
 
 自分を皆、待っていてくれたのかもしれない。申し訳なさと感謝を思いながら、白の街から眼を引き剥がす。
 ティアが見上げた。透明な青が切なげに緩んだ。

「余計な心配かもしれないけれど…無理はしないで。崩落前のホドで実際に過ごしたことがあるのは、ガイだけなんだもの。懐かしく感じるのは…当然だと思うから」
「ティア」

初めて対面した故郷に、戸惑う気持ちは同じだろうに。
 冷たく突き放すような物言いをよくするけれど、内実は繊細な彼女らしい気遣いだった。ふと、笑みが浮かぶ。


「ありがとう」




(大丈夫、俺は惑わないでいられる) 



 一段一段を、途切れた階段の先ではなく、大地に降り立つために歩む。




 此処は確かにホドだったが、此処は亡者の夢にしかない街だ。
ヴァンデスデルカ、お前を夢から目覚めさせてやりたいと願うけれど、そうしたらお前はもう息をすることすら出来なくなってしまうのだろうか。






決戦の地にて。「かつての友」スキットがとても好き。












03 決別の定刻 
[Tear]





 

 読んで貰った御伽噺のなかのような、―――白い光に満ちた、花畑。
初めて連れて来られたときの胸の震えを、忘れたことはなかった。







『捜したぞ、メシュティアリカ。……また泣いていたのか』


 外殻の子ども、そう呼ばれて、向けられる冷ややかな大人達の視線が怖かった。
きらわれている、うとまれている――肌で感じた人の負。見つかるたびに俯いて、陰口を叩かれているのに出遭うとすぐに部屋に篭って泣いていた。泣き虫な、五歳の私。

――ごめ…んなさい、』
『何を謝る?』
『いつも、泣くなって、いわれるのに』

 ぽろぽろと、溢れる水は、どうしてもとまらない。目元を擦っていると、指先を兄の手がくるんだ。兄の手は暖かくて、心がからっぽになるまで涙を流し続けた後にでも、綺麗な水を注いで満たしてくれるような――そんな手だった。

『無理をして堪える必要はない。前は、言い方がきつかったな。……すまなかった』
『ううん……』
 泣き腫らした眼で見上げた兄の表情には、優しい微笑み。その笑みを見ると、いつも私は安心できた。護られているのだということが、よく分かったから。其の頃の兄は決して私の前で、辛そうな顔を見せることはなかった。
『気持ちが収まったら、ついておいで。見せたいものがある』
『……みせたいもの?』
『お前が気に入るものだ、メシュティアリカ』

 兄は誇らしげに笑っていた。もうじき見られるだろう妹の驚きと喜びを、心待ちにするように。



―――幸せな日々があった。悲しみも少なからずあったけれど、当たり前に兄が傍にいた日々が。











(……もう、どうにもならないのね)


 セレニアの花に埋もれて、夢想で平和な毎日を信じていられる刻は疾うに過ぎた。光の花畑に圧倒されて声も出なかった自分に、彼が贈った言葉を思う。あの日兄は言ったのだ、「お前には夜の世界にも花を咲かせる、此の花ように気高くあってほしい」と。


 その言葉に添うような人間になりたいと、これまでを生きてきた。




 抱く杖に力を籠める。
 弱音ならば吐くだけ吐いた。自室のベッドの上で、何度も呪った。こんな方法しか選べない自分の惨めさを悔やんだ。どんなに潔くあろうとしても、律そうとしても、軍人でない只のメシュティアリカは弱く、そして無力だ。
 けれど、成さなければならない。他の誰もが、一人の男によって未来を揺さぶられるだろう危機的状況を把握していない今。これは彼の妹である私がやらなければならないことだった。
 



(……ごめんなさい)


 
 謝罪は掻き消えた。虚空のなかへ。



 
 ユリアロードの譜陣に足を踏み入れる。呑まれてゆく感覚が身を浸してゆく。
 寂寥を振り切るように、覚悟が確固たるものであることを示すように、決然と前を見据える。




―――いきます」



安易には泣けなくなった乾いた瞳。噛み締めた唇を、決意のためだけに緩めた。









実の兄を討つ覚悟を決めるまで思いつめたティアの意志の源を知りたかった。











04 僕が触れた途端、すべては夢幻になる 
[Guy]






 血の流れる様は、涙の跡に似ている。




 破れた手袋から覗く肌と傷――、鋭利な爪で切り裂かれたそこはすっぱり線が入っていて、滴る赤は布地に染み込み、腕を濡らしている。痛みは勿論あったのだが、それすら酷く遠くに、そのときガイは感じた。






「おい、ガイ!何ぼーっとしてんだよっ!」
 悲鳴に近いルークの怒鳴り声が飛び込んできて、ガイは漸く、吸い込まれそうになっていた己の意識を切り離した。
 斜め前からの、殺気。抉るように伸ばされた牙、野獣の頭部をすぐ目の前に確認して、ぎりぎりの所で半歩退く。
 大振りの突撃をかわした後で、剣を素早く構えなおし、歯肉と舌の狭間めがけて薙いだ。狼以上の犬歯に噛み付かれる寸前、刃は見事に獣を貫通する。代わりに盛大な血飛沫をまともに浴び、ガイは動きを止めた。

 魔物は絶命している。


 握り締めた柄が、血で滑る。力を抜くと、柄はガイの手を擦り抜け、獣に突き立ったまま大地の上に落ちた。







 最後の一匹を仕留めたルークが此方に走り出すのに先んじて、ティアが駆け寄る。表情は厳しかった。
 ガイは青褪めた顔を無理に微笑ませようとしたが、何かが喉に詰まったようで、失敗した。


「じっとして。今、治癒術をかけるから」
――すまないな」

 言われるままに差し出した掌は、改めて見れば酷い傷だった。半ば千切れかけている、痛くない筈がないものを、ガイは放心のなかで見つめた。ティアが強張った面持ちで詠唱する。
 ジェイドが、アニスが、ナタリアが、散開して戦っていた仲間達が戻ってくる。ナタリアは心配げな様子を隠さず、ジェイドはそんな彼女に何かを告げていた。手だけですから大丈夫でしょう、ぐらいか。アニスも、ルークも、口々に何事かを。









 血の流れる様は、涙の跡に似ている。



――あたたかいから、だろうか)



 ガイは呟きが誰のものであったかを思い返そうとしたが、上手くいかなかった。









記憶からどうしても擦り抜けてしまうひと。











05 終曲 
[Luke]※EDネタばれ






 
 意識が溶け合うようにゆっくりと薄れていくのを、光に埋もれて感じた。抱き留めた青年の重みが、音素と共に散ってゆくのが分かる。


 あふれだす生命を繋ぎ止めるように、抱く腕に力を篭めた。はらりと零れた赤い髪、生気のない青褪めた肌、けれど其の表情は何処か穏やかで。思わず「ごめん」と口にした――聴いていたら、また即座に怒られただろうけれど。


 清浄な場に、浮遊しながら吸い込まれるよう昇ってゆく。見上げた先はただ白一色に包まれていて、これからあの中に呑まれ消えるのだと分かってしまうと、殊更宙ぶらりんな今の状態から、しがみ付いて離れたくなくなってしまう。




(俺って未練がましいのかな。諦めるよりはマシだ…って、ガイなんかは言うけど)



 思わずぼやいて、実際はもう喉が抜けたように声は出なかったが――そのときふと少女の姿が、頭を過ぎった。

 必死な眼。見ているからと、後押ししてくれた。決して甘やかさない態度を貫きながら、どんな時でも見守っていてくれた。



――――必ず帰ってきて!



 思えばあれが、彼女からの最後の嘆願だった。多分無理だろうことは予測がついていて、それでも言ってくれた。待っているから、と。
 気付けば何時の間にか、既に其処はエルドラントではなかった。手のなかにいたアッシュも居らず、ただ、何も無い世界が広がるばかりの領域に、漂っていた。

 ゆるやかに訪れ始める眠りの衝動に抗う術なく、それでもゆらゆらと揺れる心は、たったひとつ望まれたものを希求する。


(……ああ、そうだ……俺、帰らなきゃ)
 


 意識が沈む寸前に、ほとんど瞼を伏せながらも、もとめるものに手を差し出す。完全に光のなかに身体も精神も喪われる瞬間。

 引き上げるように、―――誰かが、其の腕を掴んだ。









 +  +  +









夜の渓谷に響いていた清らかな歌声が、余韻を残し過ぎ去った後。
 ティアは立ち止まった。ガイが、アニスが、ナタリアが、息を呑む。




青年が、近付いてくる。美しい赤の髪を揺らして。




 セレニアの花が夜の風に煽られて、銀色の光を辺りに振り撒く。一枚の絵のような光景は、けれど確かに現実のものとして刻を動かしている。
 ティアは、夢かどうかを疑うように……ゆっくりと、青年の傍に歩み寄った。


「……どうして、ここに」
「此処ならホドを見渡せる。それに…約束したからな」


 ティアの驚きに瞠られた眼に、涙が溢れた。
彼女が遣る視線の先は、青年の遥か後方。


ジェイドは静かに微笑んだ。その赤眼に、確かに認めた姿に安堵を滲ませ。



「……アッシュ」

―――あいつが、そう言った」


 青年は笑い、海に続く更に向こう側の岸辺を、顎でしゃくる。
歩みだす影は、もうひとつ。



 ティアは、今度こそ間違いないことを確かめて、駆け出した。続いてガイ、アニス。
 ナタリアはアッシュの傍で留まり、潤んだ瞳で精一杯に微笑む。おかえりなさい―――泣きながら告げる愛する王女を、アッシュは離さないように抱き締めた。




 








「……ルークっ!!」



 ティアが呼ぶ。
 息を切らして、他に何も見えないように、一直線に走ってくる。
二人目の青年は呼び掛けに優しく笑って、そっと手を広げた。
  


 
「ティア、――みんな。……ただいま」





 「ルーク」は、仲間達の涙ながらの抱擁を受け止めて、くしゃり、と顔を歪ませた。

 愛する人達に、―――待っていてくれてありがとうと、まず最初に伝えたい。

 







約束は果たされる。世界を護った二人の青年を、その夜、ローレライは世界へと返した。…そんな、幸福の結末。

 



S l a t e g r a y   F i n i s h !