嗚呼こんな ひかりもあったのだ と。
「あの、陛下。……やっぱり戻った方が」
「心配いらねぇって。衛士に見つからない抜け道ぐらいは心得てる」
いやそういう問題じゃなくて。ルークの声は言っても無駄、の理解の下に消沈した。帝都で迎えた晩とはいえど、寝付けず風を浴びる為にふらりと出た宿の外で、宮殿に居る筈の皇帝とばったり出会う――なんてことになるとは誰が思うだろうか。
話を聞いてみれば彼は度々、目付けがいない隙を見計らって外に出歩いているらしい、それも護衛なしで真夜中に。あーあの眼鏡とかには内緒にしといてくれ、厭味の応対が結構面倒でな。弁解ひとつ悪びれた素振りもせず、政務時の鋭さは微塵もなく。相変わらずよく笑う、よく分からない人だった。
暇そうだから付き合え、と引き摺られるに従って夜の街の路地やなんやを捻り潜って歩き、やがて出たのは海辺から果てを見渡せるグランコクマの外れ。言われたとおり、随所で街を見ている兵に遭遇しなかったのは、ピオニーの夜外出の年季の成せる業だろうか。……あまり考えたくなかったが。
旅に出てから初めて覚えた、潮の匂いが一層深まり、吹き寄せる風に上着がばたばたと煽られる。少し肌寒さを思い、掌でそっと、剥き出しの腕を掴んだ。
打ち寄せる波音が鼓動のよう。海が母体とはよく言うものだ。
此処から望める夕焼けは、他じゃお目にかかれない絶景で、気に入りの場所なのだという解説を聞きながら、欄干に寄り掛かって彼方を見る。海面にほぼ垂直に切り込むような断崖の底は、暗くて判別はつかなかった。それよりも興味を惹かれたものにルークの視線は自然と向く。絵具よりも余程濃い黒を引き裂くような、白い灯りがゆっくりと回っている―――
シェリダンのロケット塔、あれに匹敵するような威容で以って聳える柱から。
目が眩むほどの、延々と続く漆黒を霞ませるほどの光が空を、水平線を照らし出す。
「あれは灯台っていうもんで、夜に船が道を迷わないためのしるべだ」
無知な問い掛けに彼はそう得意げに笑った。
「へえ…随分遠くまで照らすんですね」
「民間船の保護と、警備も兼ねてるんでな。…この周辺は入り組んでて、潮の流れが急なんだ。下手すると座礁しちまうってんで急遽設計されたわけだが、今じゃちょっとしたシンボルマークだな」
グランコクマはその動力を譜術にて補っているのだったか。闇を一瞬でも払いのける強い光は月よりも明るい。沖に出た船乗り達にとってすれば、この光はきっとこの上なく頼もしいものだろう。
美しき水上の都。開放的な治世におかれた、自由の国。
ルークは微笑った。実を言えば、深夜に街を徘徊していたのは眠れなかったのではなく跳ね起きた所為で、それはやはりいつもの夢が理由だった。自分はあらゆることに対して臆病であることを自覚してもいたが、他者から卑屈と両断される性質を、この人は否定しない。……矯正されるべきと誰かが叫ぶ、自身でも強く思う、それを、彼は決して。
「なんか、……いいですね、グランコクマ」
「なんだ、灯台がそんなに気に入ったのか。何なら本気でこっちに住んでも構わんぞ」
「いえ、そういうのじゃなくて、……バチカルの屋敷からは海なんて見えなかったし。こんなでかい道標が立ってることも、」
ガイに読み聞かせて貰った御伽噺は沢山ある。最後は泡になった人魚姫。人を誘い込んで船を難破させる破滅のセイレーン。でも海って何だよ、と聞けば、なるべく分かり易い単語を選び尽くした説明は返ったけれど、それに直に触れられたのは本当に最近のことだった。
雄大な海、永遠の海。
そしてそんな中にちっぽけな自分が取り残されたとしても、その海を照らし出す光の塔があるのなら。
「―――これならきっと、誰だって帰って来られる」
哀韻を帯びたルークの呟きは、冷たい潮風にくるまるように溶けて確かに届く。……自分というものの答えを求め続けていた旅人が、やっと見出した居場所に行き着けないことを、惜しむかのように。
「そうだな。――お前らも、あれを目印に帰って来い」
屈託のないピオニーの言に、ルークは其の眩さを焼き付けた。
波打ち際で、遭難者を引き上げる為に手を差し伸べるピオニーを想像する。多分灯台は彼そのもの。
(帰還者を胸に抱いておかえりと言ってくれる)
約束のできないことにしないでおこうと決めていたのに、それでもルークは頷きたかった。懸命に堪えて、代わりに笑った。後悔のない、未練のない笑顔。
(叶うものなら其の光のもとに、貴方のところに、辿り着きたかった)