※ガイ六神将パロ







  ごきげんよう、灰かぶり。

 朝陽にきらめかせる金髪を撫で付けて、笑いながらそう挨拶されたときのことをアッシュはよく憶えている。するりと空気に溶け込み、泰然と、常に何処か余裕を残しながらの喋り口。取り繕いでも、気取った様子もなくただ楽しげに笑うものだから、時折それを好意と錯覚しそうになった。人好きのする笑顔に、上品な立ち振る舞いに惹かれ、慕う騎士団員の数も半端ないというのにその自覚もないらしい青年。
 

 お前の髪、好きだな。言われたのは初めてではなかった。出遭って暫くした頃、まだガイラルディアが子どもで、自分も同じく子どもであった頃に、恭しく髪に触れてガイラルディアが呟いた。あの当時の眼の眩むような、焼け付くような怒りの迸りを、アッシュは忘れられなかった。―――何時までも。










 敵の返り血を浴びた長い髪が、生え際で凝固して頭が重い。

 アッシュは火の燻る焼け野原から身を翻す。譜術で一帯を薙ぎ払った後は、身体の一部を吹っ飛ばされながらなんとか生き長らえた残党に、片っ端から止めを刺すだけの作業だった。大した手間ではない筈だったが、予想以上の抵抗に思ったよりも煩い、夜盗狩りが終わってみればとっくに日が暮れている。
 師団長に任じられて以来、幾度となくこなしてきた任に感情は伴うことはない。ただ今日ばかりは、長髪に絡みついた血の生臭さが不快だった。特務師団員全員の帰還を確認の後、本部で解散の号令を発してから、一人汚れを洗い落とすために水場に向かう。闇夜に見張りに立つ兵たちの間を抜いてゆけば、即座の敬礼と共に怯えの感情まで露骨に伝わる。目障りだった。


(……いっそのこと、斬るか)


 黒くこべりついた跡の残る上着は脱ぎ捨て、桶を片手にしたところで、それよりも楽な方法があることに思い当たって自分の髪を見た。
 今まで斬らないでいたのは、小さい頃に幼馴染に「伸ばした方がいいと思いますわ」と助言を貰ったから――とるにたりない理由だ。大体今はもう、彼女の前に立っているのは自分ではない。作り物の方だ。
 だから、願掛けのように幼少の約束を引き摺って伸ばし続けるなんて、本当のところ無意味な話でしかない。そう思えば自分が未だに故郷に――ファブレに囚われている気がしてならず、この髪が長いままであることが益々不自然に感じられた。アッシュは胸元に仕舞いこんである短剣を取り出し、血でごわごわになった髪を握る。


―――斬っちまうのか?思い切りがいいけど、勿体無いな」
 

 一思いにばっさりと切り落とすつもりだった手の動きが、止まった。何時の間に来ていたのか、同じ神将に数えられるもののひとり、ガイラルディアが物珍しそうに佇んでいる。全くいつものとおりに、変容のない微笑みを唇に乗せて。
「俺の勝手だ。邪魔すんじゃねえ」
「そんなに短いのがいいなら止めないさ。ただ、――俺はこの髪好きだからな。惜しんでるだけだよ」
「…ふざけるな」
「ふざけてない」

 のんびりと近寄ってきた男は、火のような、血のような色を掻き混ぜるように、アッシュの一房を掬い上げた。まるで宝石でも扱うときにするような、丁寧に愛でるような仕草。
 
 アッシュは舌打ちをした。―――癪に触る物言いはいつものことだが、そこにその言葉以上の他意がない分、この男は誰よりも性質が悪いのだ。
 ましてアッシュは、目前の男にとってすれば、元々仇と見なされてもおかしくはない身分であった過去を持つ。憎まれ蔑まれることを覚悟していたというのに、ガイラルディアという男はそんな感情の片鱗も見せることなく、生まれ持ったかの如くの、貴族さながらの優雅さで笑うのだ。
 ガイラルディアには憎悪の念も憐憫の情もない。ただ、ヴァンの傍で笑うだけ。







―――何でお前はそうなんだ」
「……何が?」
 ぱちり、と瞬く男に、苛立ちが募る。短刀を握っていた手を下ろし、代わりに髪に差し込まれている手を思い切り叩き落とした。

 突然の拒絶に、驚いたようにするガイラルディアは、それでも困ったように笑い。

「ご機嫌斜めみたいだな」
「……ッ」


 否定しようとし、やがて無駄と悟って飲み込んだ歯軋りは、くぐもった声色と共に流出する。
 お前が、いっそ俺を憎んでいると吐き捨てるぐらいすれば、俺だって。余りに自分本位な考えであることは自覚していたが、それでも思わずにいられない。アッシュは首を垂れ、ガイラルディアから視線を逸らす。どれだけの欲求をこの男にぶつけてみたとしても、返る結果など分かりきっていた。……そしてその後の自分が、どれだけ無様であるかということも。



(笑うんじゃねぇ、その顔で。俺にそんな風に笑いかけるな…!)



 此方に罪悪は何も無い。胸を詰まらせる原因は何時だってガイラルディアの、何も考えず、何も見ていない、微笑みしかない男の無神経な掛け言葉。


 この髪を好きだという、男。燃えるような朱が好きだと。


 片手の短刀を激情に任せて床に突き立てる。血のようで嫌いだった髪を、美しい焔の色だと誉めそやした言葉をアッシュは憎み。焔を疾うに失った”灰かぶり”に、焔の髪だと形容する男が、自分が焔ではないかのように恨み言も吐かず笑う様を憎んでいたが。






 矛盾しているのも、手前勝手な怒りであることも知った上で。それでも「お前の髪が好きだ」と言われれば、髪を斬りおとす力を失うこの脆弱さをアッシュは一番に、憎んでいた。